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2009年11月23日 (月)

追い出しや対策会議名古屋集会

今日名古屋で追い出しや対策会議名古屋集会が開催され弁護士、司法書士、支援者など80人が参加しました。集会の模様は各メディアでも紹介されました。NHKの7時のニュースhttp://www.nhk.or.jp/news/k10013959541000.html

集会で強調されたことは住居の賃借というのは衣装や車のレンタルなど民事一般の貸借とは違い生存権に属するものであるということでした。

また、貧困化が広がるなかでこれをビジネスにしているやつらがいるということです。その中には○○商事などの悪質商法、また最近では貸し金規制で利益が出なくなっているサラ金業者やヤミ金業者がアパートの保証会社や管理会社となって悪質な取り立てを行っています。

パチンコ屋が全国で一番多い名古屋ではパチンコ屋にATM設置が広がっていますが、これも「貸し込み」を狙った悪質商法に利用されかねないものだと思います

貧困ビジネスの問題についてはうちの〝じゅんこさん〟が今月の市議会で質問をします。

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2009年11月18日 (水)

生協の白石さん

Photo ベストセラーになった「生協の白石さん」の白石さんが中日新聞の生活欄で相談をうけていました。たぶん東京新聞と中日新聞の両方に載っているのではないかと思います。

私は今日初めて気がついたのですが、前から連載されているそうです。

あいかわらず、やさしく、明るいタッチで応えています。

大学生とは違う、幅広い層からの相談なのでたいへんだとは思いますが、頑張ってほしいと思いました。

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2009年11月13日 (金)

マルクスは生きている

思わぬことからしばらく自宅にいることになりましたので、愛労連初代議長の井上さんからすすめられた不破さんの「マルクスは生きている」(平凡社、「本」参照)を読むことにしました。

学生時代には「指定文献」などで文庫本を何冊か読みましたが、資本論は本棚に飾ったままで一度も読んだことがありません。「賃労働と資本」や「賃金・価格・利潤」などそれぞれ短いものしか読んでいないため、断片的で、いきなり知らない名前がでたりして関係がわからないまま30年もたってしまいました。

この本はまず「史的唯物論」の説明からでした。私と不破さんは同じ物理専攻で26年違いですが、私の学生時代にもまだ「観念論」と「唯物論」の論争が残っていましたので、今回の本でその背景、歴史的な経過がよくわかりました。

「それまで歴史と言えば、英雄・豪傑・偉人達の活躍、歴代の王や王朝の交代などを主題にした年代記や、政治あるいは宗教と文化、戦争など事件の記述などであって、歴史のなかから社会発展の法則を発見することなどは、まったく問題になりませんでした」

これに対してマルクスが経済的な関係が土台構造にあることを言っていたのは知っていましたが、私は「史的唯物論」とは「史的」な「唯物論」?と思っていたのです。皆さんは笑うでしょうが私はこの本で「唯物論」の立場で歴史を見る、その手法として「弁証法」をつかっているものであること=「唯物史観」ということを初めて理解しました。

このほかにも、カウツキーとか、マルクスが「強力革命」を言った時期的な背景、レーニンが期待した協同組合とスターリンの強制的な「協同組合」との違いなど・・・。「ソビエト」についても「マルクス主義」からの逸脱をよく理解できました。

また、この本の特徴はタイトルにあるように現代に脈々と生き続けているマルクスの提唱を実感できたことです。派遣ギリされた労働者は19世紀の「産業予備軍」と全く同じです。COP15に出かける政府に日本経団連の御手洗会長がストップをかける姿は〝大洪水よ 我が亡きあとに来たれ〟という資本家の姿そのままです。

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2009年11月 5日 (木)

益川さんの講演会

3日に名大で益川さんの講演がありました。愛知九条の会と名大平和憲章委員会の共催で、豊田講堂は第二会場にまで入る1500人以上の参加者でした。

益川さんは日本科学者会議のメンバーですが、最近は京都の九条の会や科学者九条の会でも活躍されています。

益川さんは「100年たてば戦争のない世界にすることができる。」といいます。「10年、20年では前後しても100年という期間でみれば、みんながこうなって欲しいという方向で動いている。」「100年のスパンでみれば奴隷制も植民地も人種差別もなくなり、今や黒人がアメリカ大統領になっている」

小林・益川理論が熟成された坂田教室は研究室の民主的運営が徹底され、教授も院生も対等な立場で議論ができた。いつも反論を考えている益川さんには「いちゃもんの益川」というニックネームがついた。小林・益川理論が発表された73年の前には丹生先生が4番目のクォークであるチャーム粒子を発見している。

私が入学した74年には坂田先生はすでに亡くなっていたが、名大物理学教室憲章は生き生きと語られていた。益川先生のお話は当時の教室の雰囲気を思い出させてくれた。

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