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2013年5月20日 (月)

小池さん 頑張れ!

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私が外国人実習生支援を始めたのは2007年のGWにベトナム人から相談があったのが最初です。トヨタ系の下請け企業の不正でベトナム人研修生(当時は研修制度)100人が帰国を余儀なくされるというものでした。

名古屋入管に「企業が不正をしたのに、罪のない研修生が強制帰国されるはおかしいだろう」と要請しましたが、当時の「指針」では「そこでは正しい研修ができないので」「帰国指導」することになっていました。「いま帰国したら保証金が払えない」というと「そのような大金をとるところは不正なのでやはり帰国です」と言われました。

この問題を国会で取り上げてくれたのが小池晃衆院議員でした。(2007年5月31日)

小池さんの質問に厚労大臣が「帰国させない」と答弁。JITCO本部も動いて全員の研修先を確保できました。小池さんにはぜひ国会に戻って活躍してほしいと思います

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2013年5月 9日 (木)

順子さんと福島へ

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 先の市議補選では順子さんにたいへん大きな支援を頂きました。公選法でお礼はかけませんが9400票ものご支持をいただきました。次回は必ずの思いで引き続き頑張っていきます。

 さっそく連休は放射線のカウンターを持って福島を訪問し、コープ福島労組の後藤書記長に被災地を案内してもらいました。

放射性物質は右図のように原発から北西方向に広く分布し、中通りの伊達市でもホットスポットが数多く見つかり、除染した土を集める「仮置き場」があちこちにありました。農作物への影響が続き、名産の安保柿は昨年も出荷できませんでした。柿の木は高圧洗浄機で皮をはがれて痛々しい状況でした。

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伊達市からは右図の上の白い部分を通って東側の相馬市へ。そこから6号線を南下して南相馬市の黄色い部分に入りました。黄色い部分は線量が低く今後避難が解除される予定ですが、この二年間放置されてきました。津波の爪跡がまざまざと残っています。

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さらに浪江町に入って赤線の警戒区域にまで行きました。福島原発(→)からは2~3キロの近くですが、線量は高くありません。その後駅前や町のなかを見て回りました。駅周辺までは線量も低く日中は家に帰ることができるようになりました。しかし2年の間、壊れた家もそのままで、壊れていな

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くても家の中はグシャグシャです。住めるようになったとしても水道も下水などのインフラだけでなく学校や病院、スーパーなどがなくては生活できません。こんな状況で避難指定を解除され、補償を打ち切られてはたまりません。原発に万が一のことがあれば直ちに逃げなくてはなりません。後藤書記長は「これまで帰宅を認められた地域でも帰ったのは2割だけ」と言っていました。

政府は避難指定解除をいそいでいますが、これは補償をできるだけ少なくするためです。一つの線で区切るのではなく帰宅を認める地域であっても「避難する権利」も認めてきちんと補償を行うべきです。

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