2013年9月 5日 (木)

市役所庁舎も空襲対策

Chu13090412中区三の丸に建つ名古屋市役所は戦前の昭和8年に建てられ今年で80年を迎える。昭和19年からの空襲で陸軍の拠点であった名古屋城はじめ周辺はすべて消失したが、市役所と県庁は焼けずに残った。

昨日(9/4)の中日に当時の写真が掲載された。市内の戦跡を案内する

Chu13090413大島良満さん(元めいきん生協くらしの相談室長)が当時の状況を語る。茶色とクリーム色のツートンだった市庁舎はコールタールで黒く塗られていたそうだ。屋上の一角には床を10センチほど厚く補修したところがあるが、高射砲を置いた場所だという話もある。記録は残っていないが未だにこの下は雨漏りがする。砲撃の衝撃ではないかという。

それにしても戦争を知る資料、語り部は重要だ。

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2009年10月18日 (日)

フィリピン・ベトナム共生の旅

10日から17日まで全労連東海北陸ブロック結成20周年で「フィリピン・ベトナム共生と連帯の旅」に行ってきました。前回のブログは途中ホーチミンに移動した日に、借りたPCで書いたものです。公式訪問については愛労連の二つのブログに書きますので、こちらではおもに観光や社会のことを順次書こうと思います。

まずは台風のこと。出発前の9月29日フィリピン北部のルソン島を台風16号が遅いマニラなどに40年ぶりとなる大被害をもたらしました。この台風でマニラでは80%が冠水、訪問先の国立トンド病院も床上浸水となりました。この台風は続いてベトナム中部にも大災害を起こし、ツアーそのものが心配されましたが、現地から「受け入れできる」とのメールがきたので、災害支援カンパをもっていくことになりました。

さらに17号はいったんそれた後、ルソン島北部に逆戻りして停滞。今度は北部で土砂崩れの大災害。旅行当日にやっと移動したと思ったらわれわれがホーチミンに着いた翌日、ベトナム北部に上陸しました。

18号は出発二日前の8日、愛知県知多半島に上陸。東浦に住む阿部さん(労働相談センター所長)は家の木が倒れ、前日まで片づけに奮闘しました。

最終日、いったんマニラに帰ってから名古屋に向かうところ、今度はフィリピン東部に台風20号が接近。幸い、どの台風も当たらなかったのですが、実に間隙をぬったツアーとなりました。これも温暖化の影響でしょうか?

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2009年8月16日 (日)

駿河湾地震

 東名の上り線工事が完了したので、静岡県菊川市(旧小笠町)の実家に被害を見に行ってきました。我が家は昭和19年の東南海地震で全壊していますので、心配しましたが、今回は大きな被害はないと聞いていました。それでもさすがに近所の中では一番古いだけあって瓦が10枚ほどずれていたので、屋根に上がって直してきました。

小笠は牧ノ原台地の西側に位置し、被害はほとんどみられませんでした。駿河湾側になる東側=榛原市の方は10件に数件ブルーシートがかかっていました。こちらは震源に近いから当然ですが、それでも震度6弱にしてはそれほど大きな被害はなかったようです。

19年の東南海地震では菊川の扇状地帯にあたる小笠などでは中周期振動で木造家屋に大きな被害が出たと言われています。一方今回の地震ではこのあたりは被害がなく、小笠でも牧ノ原台地につらなったところでブルーシートをみかけました。菊川市北部でも山側で屋根に被害がでているようです。地盤の固いところで、縦振動による屋根の損傷があったのではないかと思います。被害の程度と分布を調査する必要があると感じました。

ところで浜岡原発は想定以上の揺れと想定以外のところで異常が多発し、運転再開の見通しがたっていません。東名高速の損壊もたった1カ所でたいへんな影響でした。今回の地震では東海地震や東南海地震のエネルギーは発散されていないそうです。本番にそなえてさらにいろんな角度から検討が必要だと感じました。

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2008年5月13日 (火)

中国大地震に支援を

中国四川省で発生した巨大地震に驚くばかりです。

先ほどの報道では世界最大の地震のようです。阪神大震災の30倍のエネルギーが地表近くを水平方向の波として伝わったことが、激しく、遠くまで被害がひろがった理由のようですも。万里の長城のように何千年ものあいだ地震の被害にあってない建物をみると中国では地震がないと思っていました。しかしそれは中国の東部や東北部の安定したプレートの上だけで、内陸部は地震が多いことをあらためて知りました。

ヒマラヤ山脈がインドプレートがアジアプレートにぶつかってできたことは知っていましたが、中国内部にまでこんなに大きなエネルギーを溜め込んでいたとは驚きです。

私の実家は静岡県で東海大地震の震源予想地の真上にあります。予想震度は「7以上」となっており、どれだけ揺れるかわかりません。地盤が弱く、昭和19年の東南海地震では母屋が全壊しました。子どものころから「地震がきたら地割れに落ちないように」と言われてきました。

ですから、大きな地震があった時にはいつも支援を取り組んできました。今度の中国大地震にも協力したいと思います。

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2005年9月 8日 (木)

台風災害救援を

04hukui 台風のつめあとがTVで報道されています。私も昨年、福井の災害ボランティアに名古屋から長靴とスコップ持参でいきました。また中越地震の時には翌日から支援隊を編成して送り出しました。

阪神大震災の経験から、日本では災害支援のボランティアはだいぶ根付いてきました。災害はそれぞれ事情が違いますので、現地からの情報を得て、要望に応えることが必要です。中越地震の時は初日はお年寄りでもそのまま食べられるバナナやミカンと冬でしたからカセットコンロのボンベ、カップうどんと水を持っていきました。

今回は水害ですので、水が引いたところから復旧作業が始まります。周りの道路が通じれば食料などは入りますから、一番必要なのは人手ではないでしょうか。床上浸水は畳の上にあるタンスや家具・電化製品などすべてだめになりますから、家族だけではとても運び出せません。

みんな初めてですので行政の対応はどうしても後手になります。中越地震では行政がボランティアは受け付けていないとしているところでも現地にいくと歓迎されました。その点、福井県は三国海岸のタンカー事故の経験があったのでボランティアセンターの運営はとてもスムーズでした。

それから今はとても暑いので注意が必要です。福井では34度あり、ボランティアセンターで塩と漬け物を支給していました。これから出かけるみなさんには気をつけてほしいと思います。

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